明治維新と岡山
   




(1)岡山の農兵隊

  部隊の最高責任者 森下 景端(この方は維新後の活躍も面白い 大分県知事ー黒住教重要幹部)
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(2)岡山藩も官軍に加わり江戸を目指した。

  岡山の農兵隊が溝口宿近くに宿泊したことから
 東海道を上った岡山藩の隊は、矢倉沢往還を利用した。
 横浜には、外国人が多くおり、神戸事件の影響を避ける目的もあった。
    矢倉沢往還とは
  矢倉沢往還は江戸・赤坂御門から三軒茶屋、厚木、松田、御殿場を経て東海道・沼津宿に至る街道で、東海道の脇往還として機能しており、
 途中に矢倉沢関所が設けられていた
    箱根の関とは



(3)耕戦隊21歳隊士の記録


(4)関東各地転戦

閏4月3日 市川・船橋で新政府軍と幕府洋式部隊が衝突。(岡山藩先遣部隊不意を突かれ退却)

市川市八幡 東昌寺 市川船橋戦争の官軍兵士の墓




閏4月 7日 新政府軍、下総で掃討戦を展開。

5月23日 東京を出て、箱根に(箱根戊辰戦争)




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作成者 藤本典夫