和気清麻呂
岡山県和気郡和気町
天平宝字元年(757年)藤原仲麻呂(恵美押勝)が権力を振るった。
天平宝字8年(764年)太政大臣 恵美押勝の乱
天平神護元年(765年)乱の平定により、吉備真備 勲2等・清麻呂 勲6等
天平神護2年(766年)吉備真備は、1月に中納言、3月に大納言、10月右大臣従2位となる。
そのときの権力者は、称徳女帝と法王道鏡、左大臣藤原永手
神護景雲3年(769年)「宇佐八幡宮の神託」を和気清麻呂が使者となる。
神託の内容が「道鏡を天皇にするな」という内容だったため、大隅国に流された。
宝亀元年(770年)許されて、京に戻る。
宝亀6年(775年)吉備真備、81歳で他界
天応元年(781年)桓武天皇即位
延暦3年(784年)長岡宮造営功労者として叙位。
延暦7年(788年)和気清麻呂が、美作、備前の国造になる。
延暦12年(793年)平安京造営開始、遷都の提言をしたのが、清麻呂。
延暦13年(794年)平安遷都
延暦15年(796年)平安京造営太夫
延暦18年(799年)清麻呂 67歳で没
九州・宇佐神宮
厄神八幡宮 加古川市
東京千代田区 和気清麻呂公銅像
京都府 神護寺 和気清麻呂公お墓
最寄りの交通機関:山陽本線和気駅下車 車で15分