厄神八幡宮 加古川市八幡町








後神護景雲3年(769年)のことと伝えられる。

九州に向かう和気清麻呂が山陽道を西に向かう途中の出来事
吉備の勢力の支配地が加古川から西に見受けられる。
(代わりに備後の豊かな国は、大和朝廷の支配下になったかもしれない。)
加古川を渡ると備前の地元から迎えの軍勢が清麻呂を出迎えたことだろう。
毎年2月18日・19日の厄除大祭には多くの参詣者が訪れ、露店や植木市などが立ち並びます。



その他資料


天平6年(734年) 吉備真備公が、疫隈国社を播磨国広峰山に移したといわれている。
この頃、加古川以西は、吉備の支配下であった。
姫路市には、吉備神社があり、現在も吉備氏が存在する。
(残念ながら、吉備の国には吉備氏は現存しない。)



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作成者 藤本典夫