大廻小廻山城跡
  
  

  
岡山県岡山市上道草ヶ部地区
古代朝鮮式山城といわれています。

東に広がる備前平野が一望できる
瀬戸町観音寺側からの旧道に一の木戸、二の木戸がある。 
  この旧道を下ってみたが、途中民家の庭先となり断念した。 
    

西は、山並みの向こうに、岡山市街のビルが、かすかに望める。
  
  羽柴秀吉が、毛利攻めのため2万の軍勢(1万5千の説もある)で
  備前にきたときこの山のすぐ南にある亀山城(沼城)に逗留した。
  天正十年三月十九日沼城に入り、四月十日岡山城に入城した。 
  この山の中腹にある築地山常楽寺で祈祷をし、秀吉が小廻山を 
  馬で廻ったと言われている。               
  秀吉は、宇喜多の城「旧岡山城」にすぐに入らず、毛利との 
  決戦の準備をしていたのだろう。 
    
朝鮮式山城の出来た時代:
  
  645年 大化改新
  
  663年 韓国の白村江(「ハクソンコウ」又は「はくすきのえ」)で、日本と百済が、新羅と唐の連合軍に大敗した。
  663年 日本に亡命した百済人によって、九州に防衛のための大野城、太宰府に水城などを築いた。
  664年 敗戦の兵、百済の人々の日本上陸、朝鮮半島の百済が、日本に移住?した形になった。
       朝廷が「甲子(かっし)の宣」を発する。
       百済の官位がそのまま日本で使えた。
  664年 唐の百済占領軍の使者が来朝 半年居座る。 
  665年 第2次使節が来朝 254人の使節
  666年ごろから 新羅が唐に抵抗、抗争を開始した。
  667年 近江遷都
       ようやく政治が安定、対馬・瀬戸内地区に、朝鮮式山城を作り、唐の来襲に備える。
  668年 唐 倭国討伐の軍船修理
  668年 高句麗滅亡
  669年 唐の使節 2000人以上来朝
  671年 天智天皇崩御
  672年 壬申の乱
  
  朝鮮式山城は、高地でも水が確保でき、瀬戸内海を見渡し、唐が攻めてきたとき、
  素早く連絡が出来るなど条件が厳しい。
  岡山県側の山城2つと香川県側の山城2つがちょうど対になって造られているのも興味がある。
  又、近くに国府があるのも、唐に対する防衛拠点であったことがうかがえる。
  
最寄りの駅:山陽本線瀬戸駅または上道駅 車で15分程度