天神山城跡(その1)

和気郡佐伯町田土


備前の守護、赤松嘉村が力を失い、その守護代である浦上村宗が勢力をつけてきた。

三石城主浦上村宗:亨禄4年(1531年)8月摂津で討ち死した。
備前市木谷に葬る。

2人の息子は、三石城から播州室津に移ったが、長男 浦上政宗と、次男 浦上宗景が不仲になり、宗景が天神山城に居住した。
その後、浦上宗景が、天神山城を中心に備前を支配した。
太鼓丸から天神山城遠望
手前の平たいところが天神山城




その家臣に宇喜多直家がおり、主家(浦上氏)を凌駕するまでに力をつけて、
明禅寺合戦(1566年)、金川松田氏の攻略(1568年)、作州攻略(1569年)、
虎倉合戦(1574年)、常山合戦(1575年)に勝利し、ほぼ備前を制圧した。

この間、浦上宗景は、宇喜多直家が毛利氏に同盟すると、信長に付くなど直家を攻めようとするが、
成功していない。
そのうち、天正5年(1577年)宇喜多直家に攻められ落城した。
宇喜多直家は、名目上播州室津 浦上氏の嫡子・久松丸を大将にして宗景を攻めている。

天神山城は、急峻な山城で吉井川沿いの国道から登山道がある。
天神山城については、手前から南の壇、廣の壇、飛騨丸、本丸(標高325m、長さ43m、幅13.5m)より北西に、二の丸(長さ14m、幅9m)、長屋の段、桜の場がある。



天神山城案内図(太鼓丸の頂上に設置・一番右の小高い場所)
ここから、谷を越えて、天神山城にのぼることが出来る。

天神山本丸跡

ここにたどり着くのに、たいへんでした。


天神山付近に「和気美しい森」が開園した。




交通:和気町益原から和気町日笠に通じた県道から3kmほど山を登ると到着する。
宿泊施設完備:4月開園

天神山城へ990mは、太鼓丸までのこと。
それから先は、容易にはいけないので注意が必要。


佐伯町天瀬 天神山武家屋敷跡     岡山県佐伯 天神山城年表     浦上与次郎の墓


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作成者 藤本典夫