珂磨駅家
岡山県赤磐市松木
古代山陽道において 延暦7年(788年)6月新しく磐梨郡を設置し、珂磨駅家を設置した。
養老5年(721年) 備前国邑久郡、赤坂郡の2郡から藤原郡を始めて置く。 天平神護2年(766年)5月 赤坂郡珂磨、佐伯郷を割いて、藤原郡に属する。(続日本紀) |
延暦7年(788年)備前・美作国造 和気清麻呂公。備前和気郡。川西百姓170余人言い渡した。 あなた方は、元々、赤坂郡・上道郡の東の端の民である。 すこし前、天平神護2年に和気郡に割いて合併したが、藤野郷にある郡役所は川の東側にあり、大雨が降ると通うことができない。 新しく磐梨郡を作り、藤野駅を川西に遷す。もって、水難を避けて、かつ労役を均等にできる。之を許す。(続日本紀 延暦7年6月) |
(私見)
@788年6月以降 赤磐市松木に、磐梨郡庁舎、珂磨駅家があった。
民間人の宿泊施設、駅家の管理者、兵士など公人の家もできた。
古代の山陽道は、九州、西国からの物資、朝鮮からの賓客などを
安全に都に届ける任務も持っていたから、相当な施設であった。
また、788年に新しくできた施設であったから、装備など充実していた。
赤磐市松木 延暦7年(788年)6月珂磨駅家が設置された。
同時に、磐梨郡が、初めて設置され、郡内の住民に労役を課し、その運営にあった。
当時の備前国造は、和気清麻呂であった。
赤磐市松木
古代の山陽道は、「大路」であり、最も重要な一級国道として設計され
道幅10m前後はあり、都と九州大宰府を「一直線」に結んでいた。
赤磐市 和気清麻呂塚
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古代山陽道
大宝元年(701)の大宝律令(及びその改良版の養老律令)の
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作成者 藤本典夫