五流尊龍院、頼仁親王御陵
後鳥羽天皇の時、三井寺長吏覚仁親王、即ち桜井宮が、承久の乱(1221年)を避けて児島に下り、尊瀧院に居られた。その兄宮の頼仁親王こと冷泉宮も、この地に配流され、兄弟一緒に住居された。 五流尊厳院御庵室 冷泉宮頼仁親王歌碑 冷泉宮は宝治元年(1247年)四月十二日に薨去され、桜井宮は弘長三年(1263年)三月二十八日に薨去された。 冷泉宮の御墓は木見村にあり、桜井宮の御墓は林権現の境内にある。