後醍醐天皇、岡山県を通過
      (美作国一帯)


 後醍醐天皇は、元弘の乱(1331)に隠岐に流される途中岡山県を通過した。
 児島高徳は、備前市三石、山陽道舟坂山(ふなさかやま)に潜伏し、後醍醐天皇の隠岐護送行列待った。
しかしいつまでたっても行列はやって来ない。行列は播磨から美作国へ進んでいた。
 それでは美作国の杉坂峠に変更して、道を急いだが、すでに行列はそこを通過してしまっていた。
高徳の軍勢は少ないので、平地で天皇を奪い返すことが出来ない、そうしているうち、 院庄(岡山県津山市)まで進んでしまった。


 児島高徳は単身、天皇の宿泊する院庄の館の庭先、桜の幹を削り、そこに漢詩を一句書いた。
「天莫空勾銭 時非無范蠡」
翌朝、これを見つけた警護の武士たちは意味が分からない。天皇だけが、その意味を理解された。

そして、後醍醐天皇は、隠岐に向かわれた。


後醍醐天皇ゆかりの地



杉坂の関    太平記
美作市 杉坂峠では、児島高徳が天皇を奪い返そうとしたが失敗した逸話がある。




むく   いわれ



美作市 むくの木   湯郷温泉から美咲町にむけて車で10分程度西に行ったところ
後醍醐天皇が食事の後、箸を立てられたのが芽をふいて育ったとの伝説がある。
樹齢600年  ちょっと年数が不足気味

美咲町百々 大宮神社(後醍醐天皇)


久米の佐良山を経由 院庄に到着



東門  高徳
津山市 作楽神社 児島高徳の「桜の幹に刻んだ歌」が有名



醍醐桜
真庭市(旧落合町) 醍醐桜  後醍醐天皇がご覧になった桜でこの名前がついた。
樹齢1000年



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作成者 藤本典夫