備前磐梨郡東大寺瓦窯跡

奈良東大寺が治承4年12月28日平重衡の兵火に焼かれた。
当時、高僧の誉れ高き黒谷の源空(法然上人)に後白河法王より
東大寺再興の院宣が下るが、老齢のため、門下の僧俊乗坊重源を
推挙して、重源が、文治2年東大寺の再建を始め、9年後完成した。
その造営費用に当てるため、備前と周防の2国を造東大寺領とした。
周防から材木を、備前と遠江から瓦を焼いて送った。




大きな看板に、当時の瓦焼きの様子、吉井川積み出しの様子が描かれていました。


現在、岡山県岡山市東区


俊乗坊重源について
山城の人、醍醐寺で真言を学び、その後浄土宗法然上人の弟子になる。
仁安2年宋に渡航し、天台山で学び、3年11月に栄西禅師とともに帰朝し、醍醐寺に住む。
その後、東大寺再建に力を尽くした。

年代:仁安2年は1167年、治承4年は1180年
   東大寺再建を始めた文治2年は、1186年
   完成は9年後、建久6年(1195年)鎌倉時代始め頃
   建仁3年(1203)11月諸堂すべて完成した。

その時代の出来事:1167年平清盛大政大臣になる。
         1175年浄土宗(法然上人が開く)
         1185年平氏が滅ぶ。源頼朝が守護地頭を置く。
         1191年臨済宗(栄西禅師が開く)
     

交通:山陽本線万富駅下車 徒歩10分
住宅地の中に、石碑が建っています。

この時代から少し後、鎌倉時代、刀鍛冶がこの周辺で盛んになり、吉岡一文字として有名。
吉井川を少し下ると、備前福岡に至る。




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作成者 藤本典夫