山田方谷


山田方谷の塾に学んだ門弟たちは、数千人に及び、教育者としての方谷があった。

高梁市 長瀬塾跡
 JR方谷駅の構内からすぐに長瀬塾跡がある。

            
             

山田方谷は、1859年には、この地に居住していた。
ここから、備中松山に出かけていた。
明治になって、備中松山藩が、無血開城したあと、長瀬を本拠とした。

長瀬塾は、多くの門弟を教育した私塾

長瀬塾 備中阿賀郡(今上房郡)西方村長瀬ノ里、開塾ハ明治三年秋マデ

   司馬遼太郎著「峠」の『備中松山』の章の舞台となった地
   
   「塵壺」長岡市立中央図書館


山田方谷の名前からつけられた駅 方谷駅


見返りの榎(JR方谷駅の川向)
 
 司馬遼太郎の「峠」で有名な場所
 
 方谷に入門していた「河井継之助」が長瀬塾から旅立つとき何度も振り返ったといわれる。
   (1860年 継之助33歳の時)


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作成者 藤本典夫