久米郡商工会設立記念講演会
「山田方谷に学ぶ」
  吉備国際大学  矢吹邦彦教授


山田方谷を知らない方におすすめ  読んでわかる山田方谷    



山田方谷研究の第1人者 矢吹教授の講演があった。
矢吹先生は、講演のとき、参加者に山田方谷の理解度を尋ねる。

この日も、「山田方谷の本を読んだことがある方、NHKで山田方谷を特集した番組を見たことがある方」
を最初に確認されていた。

今回の受講者の中には、挙手されなったかたが多くいたため、運よく「山田方谷概論」なる講演を聞くことができた。


山田方谷の藩政改革を革命と位置づけ、藩札の回収のエピソードでは、藩札の信用つまり「株式会社松山藩の信用」をいかに回復したか。回収した藩札を一日かけて燃やすパフォーマンスをやった。

山田方谷が、砂鉄から農具の生産を始めた「新規創業」にあたり、莫大な創業資金をいかにして確保したか。
工場を30近く作った資金確保がなぜできたか。これには、矢吹家を中心とした大庄屋のネットワークがあった。

原料で出荷するのではなく、付加価値を付けて、この頃常識であった大阪に輸出していたものを、大消費地「江戸」で直販を行った。

山田方谷が7年間で10万両の借金を10万両の蓄財に変えたことが有名であるが、この直販事業だけでは焼け石に水である。
年間3000両を稼いだとも、6000両を稼いだとも言われるが10万両の借金と10万両の蓄財つまり
20万両を稼ぐには、直販事業もおおいに貢献したが、それだけではむりである。

山田方谷は、換金できるだけ「藩札を発行する」といっているが、「藩札の信用」を背景とした資金調達があったのではないか。

山田方谷は、陽明学を学び、王陽明の考え方は学ぶが、同じことはしなかった。その時代にあった実践をおこなった。

今の時代に生きる我々も、山田方谷に学び、その時代にあった実践を行っていただきたい。



矢吹先生執筆「炎の陽明学」概要


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