明治維新
藤本鉄石生誕地の碑
文化13年(1816年)3月17日、備前国御野郡東川原村(岡山市)に生まれる。
文久3年(1863年)年8月、公家の中山忠光を奉じて、天誅組と称して、天皇の大和行幸の先駆けとして
五条代官所を襲撃。五条代官鈴木源内を殺して天皇直轄地を作り、天皇を迎えて、幕府に対抗しようとした。
この直後京都で8月18日の政変が起こり、幕府は和歌山、津、彦根の諸藩に天誅組の討伐を命じた。
数日の激戦の後、鷲家口(奈良県東吉野村)で和歌山藩兵に囲まれて戦死した。
文久3年(1863年)9月25日、享年48歳。
藤本鉄石は、水墨画など多彩な才能を発揮している。大きな屏風に描かれた水墨画を、現在でもその作品を見ることできる。
(岡山県立博物館の特別展などで)
備前池田藩の下級武士から全国遊学し、東北地方では、清河八郎に影響を与えたともいわれ有名である。
リンク 天誅組終焉の地 もしも清河八郎が庄内に埋もれていたら
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作成者 藤本典夫