恭仁京跡 (京都市木津川市加茂地区)





恭仁京(くにきょう)は、奈良時代の一時期、都が置かれた.

天平12年(740年)12月15日 聖武天皇によって、平城京から遷都された。




この都は、長い間幻の都といわれていたが、発掘調査の結果、
平城京の3分の1の規模の宮城が完成していたことがわかった。

天平13年(741年)2月24日「国分寺・国分尼寺建立の詔」が発布された。


聖武天皇は、紫香楽宮への行き来の後、天平16年(744年)2月に難波京に遷都

さらに、難波宮から紫香楽宮へ遷都ののち、天平17年(745年)5月、都は平城京に戻された。

恭仁京のその跡には、天平18年(746年)山城国分寺が建立された。







国分寺整備について

737年(天平9)聖武天皇は、国ごとに「釈迦仏像一体・挟侍菩薩二体(一般的には釈迦三尊像)・大般若経の書写」を命じる。
740年6月には法華経10部の書写と七重塔1区の建立
    9月には観音像1体・観音経10巻の書写が命じられている。
741年 「国分寺建立の詔」は、七重塔と最勝王経・法華経各10部の書写を重ねて命令し、建立をうながした。
756年(天平勝宝8)までに26カ国が形をととのえ、奈良末期にはほぼ全国にそろった。



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作成者 藤本典夫