兵庫県たつの市御津町室津

瀬戸内海の良港 室の津

平家物語・太平記など瀬戸内海でもっとも有名な港

正面の森が賀茂神社


賀茂神社

室山城跡
山の上に何もなかった。

この案内図を見ると、瀬戸内海から大きく湾が入り組み天然の良港であることがわかる。
観光用の駐車場はなく、港に近い道は大変細い。いろんな施設も違法駐車しないといけない状況です。

平家が源氏に勝利した 水島合戦のあと、源義仲が攻めて来たが、後白河法皇が源頼朝に「十月宣旨」を発したり、京の情勢が不穏であった。
義仲は、摂津国を経由して急ぎ京へとって返した。

源行家(為義の子で頼朝の叔父に当たる。)も義仲と不仲となっており、行家は義仲と顔を合わせないよう、入れ違いで丹波路を経由して播磨国に下った。

11月19日義仲はクーデターをおこし、後白河法皇の法住寺殿を攻め、法皇を五条東院へ幽閉した。

 この間に平家は義仲を討つため、知盛、重衡を大将軍に、越中次郎兵衛盛嗣、上総五郎兵衛忠光、悪七兵衛景清を侍大将として、都合二万余騎で
播磨国室山(兵庫県揖保郡御津町室津の港奥の山の頂上付近)の室山城に陣を取った。


 11月29日行家は五百余騎をもって室山に押し寄せた。

 平家は陣を五つに張り、四陣まで行家軍を引き入れてこれを討つという作戦をとった。
 この作戦にまんまと引っかった行家の軍勢は、大軍に取り込められてさんざんに打ち負かされ、行家は命からがら播磨国から和泉国へ逃げ延び、河内長野の城へ引きこもった。

 こうして水島、室山両合戦に勝利を治め、
1184年(寿永3年)1月にはかって平氏が遷都した摂津福原に戻り、播磨との国境に一ノ谷の城郭を構え
源氏に備えた。

1月10日源義仲、征夷大将軍となる。
1月20日、源範頼・義経軍が勢多・宇治で源義仲軍を打ち破り、源義仲は奮戦したが近江粟津で敗死した。
そして、2月7日、義経の鵯越えの逆落としで有名な「一ノ谷の合戦」で平氏は破れて、西国に落ち延びた。



吉備の国HP |  戻る

作成者 藤本典夫