備前国赤坂郡東高月 門前池周辺


赤磐市河本・下市門前池周辺の地図より



赤磐市下市・河本付近 遺跡分布

  向かって左側が、山陽団地、上部にある長方形のため池が門前池
 下市の表示があるところの川は砂川
 右下にあるのは、山陽自動車道山陽インター

枠で囲ってあるのが遺跡群 古墳時代以前、奈良、平安、鎌倉時代まで遺跡の宝庫
大池の上部に有名な岩田14号墳がある。

出土した太刀は、百済の武寧王の太刀を模した物と考えられている。



出典:岡山県文化財情報GIS(探訪・吉備の文化財)






 門前池から右側に枠で囲ったところが、門前池西方遺跡 第3地点発掘現場

奈良時代から平安時代、鎌倉時代まで遺跡が出土
特に、奈良時代の倉庫群は、15,000uの広がりを持った施設であった。

赤磐郡誌の記述に、平賀元義(江戸地代後期の歌人歴史家)は、この地に赤坂郡衙を予測した。
これを読んだすぐ後、昭和40年代山陽団地の開発が進み、当地が発掘された。
発掘の前から、平賀元義の歴史観に興味を持っていたので、あたるだろうかと期待していると、
山陽新聞に、赤坂郡衙跡が発見されたとの記事が載った。「さすがに」と感心したものであった。
しかし、現在では、その構造、配置が他の郡衙遺跡の構造と異なることから郡衙遺跡ではないと
考えられているようである
平賀元義は、この坂が、赤坂と呼ばれることに所以してこの地に赤坂郡衙所在地とした。

<<参考資料>>
平賀元義(赤磐郡誌 p8)「吉備之國地理之聞書」のなかで

「今、善応寺たわを古へ赤坂と云う。いまは、熊崎村の内に、赤坂という古名残れり。(中略)
共に宮家の有る所の郷名をもって、郡の名を取られたり。」

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作成者 藤本典夫